きっかけは、2019/12/20に『城山ヒルズクリニック』で受けた会社の定期検診でした。
便に潜血が見られるということで再検査。
東京に単身赴任していたため、再検査の大腸カメラもそのまま東京で。
それが年を越して1/10のことでした。
系列の、『赤坂桜十字クリニック』にて初めての大腸カメラでしたが、麻酔がきいているので楽に検査を受けられました。
まだボーっとした意識の中、検査後の説明を受けました。
今の告知って、結構軽く言われるもんなんですね〜逆に重くならなくてよかったですが。
「大腸に腫瘍がありますね〜。かなり進行していて、見るからに悪性の癌です。まずは、精密検査して摘出手術になるかと思われます」
てな、感じでした。
んー。なんか、びっくりしたけど、逆に腹が座ったというか、さあ、どうしようか?という気持ちの方がおおきかったです。
6年半前に胃がんが原因で父親を亡くしているので、癌に対する知識は少しありました。
それも、不安を少なくさせた理由かもしれません。
大阪の実家には、妻と息子三人そして母親と妹が二世帯住宅で住んでいます。
すぐに、妻に電話して内容を伝えました。
ただ、母親には言えず、帰省してから自分の口で話す。そう妻には伝えました。
会社に戻って上司に相談し、家族がサポートできる大阪の病院のほうがいいだろうということになり、日にちを決めてしばらく帰省させてもらうことにしました。
この時は、おそらくステージ2〜3で、転移さえしてなければ、切除手術後の化学療法は東京に戻って働きながらやろうと考えてました。
部屋は借りたままですが、このまま二度と東京に戻れない可能性も考えて、綺麗にしてから大阪に戻りました。
帰省して母親に話す時が一番勇気がいりました。
前述の通り、夫をを癌で亡くした母親には癌と死が容易に結びつき、パニックになると思いました。
案の定、話を聞いて母親はかなり取り乱しましたがすぐに戦闘体制に入りました。
夫の時にしてやれなかったと思っていたことは全部やって、なんとしても生かせるという意思を感じました。
本人より強い気持ちかもしれませんね。
一方の妻も強い人です。
話を聞いてもうろたえず、今後の計画を考えていました。
中学一年の長男をはじめ三人の息子にも隠さずに伝えました。
父親の闘病の際に知ったことですが、がんの場所によって、病院にも得意不得意があります。
会社の人にも情報をたくさんいただいて大腸がんに強い、大阪府立成人病センター(数ヶ月後に移転し、大阪国際がんセンターに改称)で初診を受けることにしました。
続きはまた次項で。
42歳、癌宣告。化学療法それとも代替療法?
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