さて入院後、手術までもはやまな板の上の鯉の気持ちで待つ中、同室でせん妄で部屋で暴れだす患者はいるわ、インフルエンザを持ち込む患者は出るわで、退屈はしませんでした(笑)
あっという間に1/22手術です。
癌の大きさからも、手術の精度を上げるためにも僕は開腹手術を選びました。
癌が小さい場合は腹腔鏡手術のほうが術後の回復も早く、負担がかかりません。しかし、目視できる範囲は小さくなります。
前日から絶食し、下剤で腸を綺麗にして、手術の服に着替え、あっというまに手術台の上です。
何秒で寝るか数えてやろうと毎回思いますが、だいたい3〜4くらいまでしか記憶がありません(笑)
7時間くらいの先生たちにとっては大変な長い手術でしたが、本人にとってはあっという間。
起きた時にはもう全て終わっています。
「無事に終わりましたからね〜安心してくださいね〜」
家族が見守る中、再度眠りに落ちてHCU(準集中治療室)へ運ばれます。
さて、ここからがなんとも痛い。。
(現在これを書いているのが二度目の開腹手術直後なので、それをまた思い出します)
お腹のみぞおちから、ヘソあたりまで切っているのでまず起き上がれないし寝返りすらうてない。
同じ状態で何時間も過ごす辛さを初めて知りました。
術後の発熱もあり、汗もだらだらで身体中が管だらけ(笑)
まあ、快適とは程遠い状況。
現在の技術をもってこんなに辛いのに昔の人って手術なんてどうやってたんだろう?と思ってしまいます。
しかし、不思議なもんで翌日夕方にはもう立てるんです。
まだまだ痛くてそれどころじゃないですが(笑)
僕の場合は三日目以降が悲惨でした。
腸を切っているので、一旦腸の動きが止まってしまうんですが、再度接合して動き出し、ガスが出れば大丈夫。腸がリスタートするんですが。。
ガスがなかなかでない。。
お腹はパンパンになり、痛みは傷口の比じゃないくらいにさらに痛い。
なんせ中の腸がガスでパンパンに膨れ上がり、内側から傷口を押し上げている状態ですから。
若い男性は筋肉が多いのでやはり高齢者よりも痛みが強いということもあり、もう悶絶状態でした。
見かねた先生が下剤で腸を動かす薬を入れてから半日後やっとガスが出ました。
そこからは嘘の様に痛みが引いていき、あっという間に回復しました。
術後の炎症の数値が高かったため入院が長引きましたが、退院までまるっと23日間。普通なら、早くて二週間くらいだそうです。
さて、肝心の手術結果ですが。。
上行結腸摘出手術自体は先生の思い通りにいったようです。
ただ目視で確認したところ、肝臓の表面に、10ミリ未満のブツブツが10個ほどあったので、それらのサンプルを採り検査した結果、、
すでに肝臓に転移していることがわかりました。
これを知った時は本当に辛かったです。
実は父親も胃がんからの転移で亡くなっているのです。
胃の2/3切除から五年たち、もう大丈夫だろうと思っていた頃に膵臓に転移がみつかり、その後はあっという間でした。
僕の中では、とにかく切ってしまえば再発するかしないか別にしても、それだけの時間は少なくともまだあるとなんとなく考えていたからです。
予防の抗がん剤治療をしながら節制して東京に戻り仕事も再開して、、
と、考えていました。
それが、既に転移していたことを知りかなり絶望的になりました。
もちろん、ここから奇跡的に治る人もいますが、そこまで抗がん剤が劇的な効果を上げる人は約10%程度だと主治医には聞きました。
まだまだ現代医学でもその程度です。
そして、この告知は、日付は付いていないものの、実際には延命のための治療の開始を意味します。
この晩初めて僕は、病室の布団に包まって、家族の写真を見ながら泣きました。
まだ小さい三人の息子たちの将来。
苦労と迷惑をかけっぱなしの嫁さん。
母親より先に逝く親不孝。
大切なふたごの弟と妹。
いろんなこと考えちゃいます。
一晩だけ、思いっきり泣いてやろうと思いました。
1日だけ、悲観的になってもオッケー。
でも明日からは前向きに明るく生きる。
そう決めました。
癌の一番の特効薬は、明るく前向きに生きる意志。
でも、365日完璧に明るい訳はありません。
そういうとき、僕は1日だけ自分で決めたルールを思いっきり破ります。
今でも。
ネガティヴな自分はこの、思いっきり泣いた日で終わり。
気持ちの切り替えです。
さあ、退院‼️
さて、これからどうしよう。
42歳、癌宣告。化学療法それとも代替療法?
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